薬物的行動調整法 (Drug Behavior Therapy) |
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はじめに:行動調整法
(1)行動調整法とは
歯科診療や口腔ケアの妨げとなる患者の心身の反応や行動の表出を予防、制御し、患者・術者ともに
できるだけ快適な環境下で、安全で確実な歯科治療が行えるよう患者の心身の状態を調整していくための
方法です。
参照、「行動調整法 総論」 参照、「レディネス」 へ
(2)行動調整法の種類
【1】コミュニケ−ション法
【2】行動療法
【3】薬物的行動調整(鎮静法、全身麻酔法)
【4】物理的な体動の調整法
【5】歯科治療・口腔ケア時の工夫
(3)薬物的行動調整とは
薬物的行動調整とは、薬物を用いて行う行動調整法で、次の方法があります。
A:精神鎮静法---1:経口投与鎮静法、2:吸入鎮静法(笑気吸入法)、3:静脈内鎮静法
鎮静薬を用いてリラックスした状態で治療を受ける方法です。
意識下でボーっとした状態で治療を行うため、治療に対する患者さんの協力度が低い場合や、身体機能が低下
している場合などは、応用が難しいことがあります。
B:全身麻酔
全身麻酔薬を用いて完全に意識のない状態で治療を受ける方法です。
無意識下のため患者さんの状態に左右されず、安全で快適な治療を行うことができます。
A:精神鎮静法
1:経口投与鎮静法(前投薬法)
(1)概要
@経口投与鎮静法
興奪や不安、 緊張によって歯科治療が困雌な患者が対象です。
治療前に鎮静薬などの薬剤を内服させることによって、治療への協力を得ようとする方法です。
A利点・欠点
静脈内投与に比べ効果が不確実で作用の発現も遅いという特徴が有ります。
外来においては笑気吸入鎮静法と併用されることもあります。
(2)使用薬剤
@ジアゼバム(diazepam)
1)製剤
1;ホリゾン錠:2mg、5mg

2;ホリゾンシロップ:1mg/ml
3;セルシン

2)用法
成人には5〜10mg、小児には0.2〜0.3mg/kgを使用します。
投与量は成人の用量を超えるべきではないとされています。
3)特徴
経口投与30分後から血中濃度が鎮静域に達し始め、60〜90分後に最も安定した鎮静効果が得られます。
血中濃度が保たれるので.薬剤投与60分後より歯科治療を開始することが望ましいとされています。
このため、薬剤の服用は自宅にて行います。
Aミダゾラム(midazolam)
1)製剤
ドルミカム 10mg/2ml

2)用法
剤型は注射薬(10mg/2mL)です。
酸性化で安定した水溶液のため舌下投与ではすみやかに高い血中濃度が得られます。
単純に経口摂取を行った場合でも, 口腔や咽頭粘膜から容易に吸収される可能性が高い薬です。
また、粘膜から吸収された場合は門脈を介さないため、少ない投与量で有効な血中濃度に達します。.
効果の発現も速く、歯科臨床における有用な鎮静法の一つです。
経口投与の場合には0.5〜0.75g/kgを使用します。
1回の投与量は10mgを超えないことが望ましいとされています。
舌下投与の場合は0.2mg/kgで十分な鎮静効果が得られるとの報告もあります。
3)特徴
鎮静・催眠効果はジアゼパムの2〜3倍です。
半減期が短いため鎮静度や精神運動機能の回復も速い薬です。
ミダゾラムの経口投与は薬事法の承認範囲外の用法となります。
その使用にあたっては院内で定められた手続きをして、十分に患者に説明して行う必要があります。
その際、日本病院薬剤師会の、院内製剤の訓繋及び使用に関する指針、を参考にして下さい。
また.注射薬のミダゾラムは苦味がとても強いため、使用の際は味の調整の工夫が必要です。
2:吸入鎮静法(笑気吸入法)
(1)笑気吸入鎮静法の概要
@笑気吸入鎮静法とは
低濃度(20〜30%)の亜酸化窒素(N20;以下,笑気)と酸素(70~80%)の混合ガスを吸入させる.
それにより意識を失わせることなく鎮静状態を得ようとする方法.
歯科治療による不快刺激や疼痛への感受性を低下させる.
治療時における不安感や恐怖感,緊張感を減少させる効果が高い.
鼻呼吸で鼻マスクからガスを吸入することができれば、
歯科治療に不協力な小児 スペシャルニーズのある人、に対して有用.
A笑気吸入鎮静法と行動療法
マスクに対する恐怖心を与えないように笑気ガスを吸入させる.
笑気吸入のトレーニングを行った後,
行動変容法を併用しながら歯科治療を行うと効果的に協力性が高まる.

(2)笑気ガスについて
@化学
化学式=N2O
呼称=笑気、亜酸化窒素、一酸化二窒素、laughing gas
無色で、香気と甘味がある気体です。
MACとは
1気圧下において、吸入麻酔薬により動物の半数(50%)を不動化させるのに必要な肺胞内における
吸入麻酔薬の濃度とも呼ばれる。
笑気=104 エンフルレン=1.67 イソフルレン=1.15 セボフルレン=1.71
血液/ガス分配係数(blood/gas partition coefficient)
平衡状態に達した吸入麻酔薬の濃度に対する血液中の吸入麻酔薬の濃度の比 .
窒素の34倍で生体膜透過性が良い
窒素=0.014 亜酸化窒素=0.47
A麻酔・鎮痛作用
血液/ガス分配係数が0.47と小さいため、麻酔の導入・覚醒が速やかである。
MAC(最小肺胞濃度)=104と麻酔効果は弱い.
聴覚、視覚、触覚や特に痛覚を抑制する.
鎮痛効果の発現は早く強力なので、術後の鎮痛を得るために用いられる.
単独使用では、手術刺激により麻酔深度が浅くなる(手術患者)傾向がある.
他の静脈麻酔薬または吸入麻酔薬と併用されている.
Bその他の薬理作用
1)呼吸器系への影響
嗅覚を抑制する.
鼻喉頭気管の感受性を低めるので、喉頭けいれんの危険も少ない.
気管支粘膜の分泌腺は刺激されず、気管支せん毛運動を抑制しない.
2)循環器への影響
低酸素症や高炭酸ガス血症がない限り、心拍数、心拍出量、血圧に変化はない.
心筋層感応性エピネフリンに対する感受性亢進もない.
3)消化器への影響
麻酔導入初期には唾液の分泌が増加するが、麻酔が深くなるに伴い減少する.
また低酸素症がない限り、食道と胃腸の蠕動は影響を受けず消化液の分泌も影響を受けない.
4)泌尿器系への影響
腎機能、尿管蠕動、膀胱緊張力及び尿形成は影響を受けない.
(3)利点と欠点
@笑気吸入鎮静法の利点
安全性が高く,導入・覚醒も速く,濃度調節などの操作が簡便である.
全身麻酔法と異なり絶飲食の必要がない.
呼吸や循環への影響が小さい.
副作用が少なく外来での歯科診療に応用しやすい.
A笑気吸入鎮静法の欠点
笑気吸入鎮静器や排気システムなどの設備が必要.
意思の疎通が出来ない.
鼻呼吸ができないと十分な鎮静効果が得られない.
鼻マスクが歯科治療の妨げになること、など。

(4)適応症と禁忌症
@適応症
歯科治療に対し恐怖や不安が強い患者や、嘔吐反射の強い患者など.
知的能力障害自閉スペクトラム症を有する患者においては、その発達年齢が3歳以上である場合.
A禁忌症
妊娠初期(3か月以内)の患者では催奇形の可能性.
体内に閉鎖腔がある患者.
医療ガスを用いて眼科の手術を受けた既往のある患者では症状が悪化する可能性.
例:耳管閉塞、気胸、腸閉塞、気脳症、等。


(補足):笑気の禁忌症
禁忌症はない (日本麻酔学会 麻酔薬および麻酔関連薬使用ガイドライン 第3版)
然し慎重投与亦は避ける方が良い患者は存在します。
@避ける患者−1
1)閉鎖腔のある患者
閉鎖腔のある患者は慎重投与が必要です。
笑気は窒素よりもはるかに血液に溶解しやすい.
そのため窒素で満たされた体内閉鎖腔に笑気は拡散しやすい

2)妊婦(妊娠初期)
3)鼻閉、上気道閉塞
4)アレルギー性鼻炎
5)ペースメーカー挿入直後
6)網膜硝子体手術直後

A避ける患者ー 2
妊婦 わずかなリスク N2O ≧ 50%
妊娠初期の胎児奇形
妊娠中期の成長障害
不妊 ・流産
B避ける患者ー3
鼻閉、上気道閉塞
C避ける患者ー4
アレルギー性鼻炎---鼻呼吸が困難
亜酸化窒素の効果が期待できない
(5)笑気吸入鎮静法の実際
@導入前
覚醒時には確実に吸入できるようフェイスマスクを使用.
歯科治療時には鼻マスクを使用する.
使用するマスクには,少量のバニラエッセンスやフルーツフレーバーをあらかじめ塗布しておく.
甘いにおいのするマスクに興味をもたせる.
なお、嗅覚の過敏を有する自閉スペクトラム症などの患者では, においを忌避することがある.
事前に保護者から話を聞いておく必要がある.
笑気吸入を開始する際には、TSD法やモデリング法を併用.
術者や保護者がフェイスマスクを顔に当てるところを患者にみせた後.
マスクを患者に持たせたり、においをかがせたりして警戒心を取り除き,顔にマスクを当てられるようにすると
導入しやすい.

A導入
患者がリラックスできるリクライニングポジションをとる.
術者がフェイスマスクで患者の鼻と口を覆い、鼻呼吸を指示.
徐々に笑気濃度を上げ,最終的に笑気濃度を30%前後に維持する.
導入にあたっては.笑気ガスを十分に吸入させるという作業が大切.
その際、至適鎮静状態での兆候を説明し、気持ちがよくなるよ、などと暗示をかけるようにするとよい.
絶飲食の必要はないが,嘔吐を考慮し,満腹時の施行は避けたほうが安全.

B維持
鎮静状態が得られたら,適切な大きさの鼻マスクに変更する.
その際には、患者に苦痛なくマスクを適合し,周囲にガスの漏れがないように固定する.
固定後,回路に漏れがないことを呼吸バッグや呼気弁の動きで確認する.
その際、血圧計、心電図、パルスオキシメーター(SpO2)などのモニター監視下で行うことが望ましい.

(6))笑気吸入鎮静下の歯科治療
@歯科治療
鼻呼吸の継続を指示し、歯科治療を開始する.
笑気の鎮静作用は弱いため,痛みを伴う処置のときは局所麻酔を併用する.
A歯科治療の終了
同時に笑気を供給停止する.
30%以下の笑気吸入では.停止後の拡散性低酸素症はほとんど問題とならない.
停止後の酸素の吸引は必須ではない.
しかし、すみやかな回復のために数分間の酸素吸入が好ましい.
5分程度いすに座らせ、呼吸数、血圧心拍数などに異常がないことを確認する.
B帰宅許可
バイタルサインに異常がない.
意識が明瞭である.
歩行に異常がなく、 まつすぐに歩ける.
帰宅の際は、絶対条件ではないが、責任ある成人の付添いがあることが望ましい.
3:静脈内鎮静法
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参考資料 |
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障害者診療
『スペシャルニーズデンティストリー障害者歯科 第2版』
『歯医者に聞きたい 障がいのある方の歯と口の問題と対応法』
『歯科医院が関わっていくための障害児者の診かたと口腔管理』
『歯科衛生士講座 障害者歯科学 第2版 』
『障害者の歯科治療 臨床編』
鎮静法
『患者さんによろこばれる笑気吸入鎮静法』
『非麻酔科医のための鎮静医療安全?ガイドラインから多職種での訓練まで』
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